リーヘイニーが語るドリアンイェーツとのライバル関係

リーヘイニー ドリアンイェーツ

ミスターオリンピアを史上最多タイの8連覇を成し遂げたLee Haney (リーヘイニー)は,間違いなく,1980年台中盤から1990年台初頭にかけてコンテストを支配していました.

彼の後に,コンテストを支配したのはミスターオリンピアを6連覇を果たしたDorian Yates (ドリアンイェーツ)だったのですが,ドリアンイェーツが全盛期を迎える頃にはリーヘイニーは引退してしまっていました.

そんなドリアンイェーツに対して,リーヘイニーが語る動画を見つけたので皆さんとシェアしたいと思います.

リーヘイニーとは

リーヘイニーは,1959年 アメリカ生まれのボディビルダーであり,身長は180 cm,体重は112-118 kgです.


彼は,80年代初頭から90年代初頭に活躍した伝説的なプロボディビルダーであり,ミスターオリンピアを史上最多タイの8連覇を記録しました.8連覇した当時の年齢が31歳と非常に若く,そこで引退してしまったこともあり,そのまま競技を続けていれば「8連覇以上していたのではないか」と言われています.リーヘイニーが8連覇目を達成したオリンピアでは,同じく伝説的なボディビルダーであるドリアンイェーツが2位であり,翌年は彼が優勝していることから,まさしく,90年代においてジャッジがサイズ重視になる前の最後のチャンピオンであることが言えます.

オリンピアの長い歴史に置いて,チャンピオンのライバルは良く話題になります.例えば,Phil Heath (フィルヒース)とKai Greene (カイグリーン),Ronnie Coleman (ロニーコールマン)とJay Cutler (ジェイカトラー),Arnold Schwarzenegger (アーノルドシュワルツネッガー)とFranco Columbu (フランココロンボ)といった具合です.リーヘイニーの最大のライバルは誰かと言うと,個人的にはリッチギャスパリかなと思うのですが,リーヘイニー自身はどの様に考えていたのでしょうか.

ドリアンイェーツとは

ドリアンイェーツは,1962年生まれのイギリス出身のプロボディビルダーです.身長は177.5 cmで,体重は115.7 kg-120.2kgです.

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dorian Yates(@thedorianyates)がシェアした投稿

彼は,リーヘイニー,ロニーコールマン,アーノルドシュワルツネッガー,フィルヒースに次ぎ,ミスターオリンピアを6度制覇しているトッププロです (現役は引退しています.).

彼は,通称,”地下拷問場”と称されるイギリスのTemple Gymでトレーニングをしていたことで有名です (現在は建て替わっているため,現在のTemple Gymとは異なります.).アーノルドシュワルツネッガーの様な華やかなボディビルダーとは対象的に,メディアへの露出は極端に低く,コンテストも非常に限られたものしか出場しないことから,”The Shadow”という愛称で親しまれていました.

彼は,Mike Mentzer考案のヘビーデューティ法を積極手にトレーニングに取り入れていたことで有名であり,彼が”GAME CHANGER”と言われる様にサイズ重視のボディビルディングの礎を作ったと言っても過言ではありません.

彼については,「ドリアン・イェーツのすべて」を参考にされると非常によく理解できると思います.

リーヘイニーがドリアンイェーツとの「ライバル関係」について述べた動画

リーヘイニーがドリアンイェーツとの「ライバル関係」について述べた動画は以下です.

動画の作成元は,RxMuscle — The Truth in Bodybuildingです.

今回の動画の長さは26:47です.

リーヘイニーは,1992年のドリアンイェーツに勝つ自信があった

リーヘイニーは,8連覇を成し遂げた1991年に引退し,翌年の1992年からドリアンイェーツが連覇を重ねます.そのため,「もしミスターオリンピア 1992に出場していたら?」という疑問が多くの人の間であり,実際にその質問に対して以下のように回答しています.

Oh yeah, no doubt about it . And see, it all depends on what the judges wanted to see. Well, I think he was trying to get there [push me]. I don’t think he was pushing me because I mean — the photo you just put up, that says it all.

そうそう、間違いなくドリアンイェーツに勝っていたでしょう.そしてほら,すべてはジャッジが何を見たいかによるんです.まあ,彼は私を脅かすことはできませんでしたね.

今回のポイントはリーヘイニーが指摘している通り,「ジャッジが何を見たいか」という点です.ジャッジが「サイズを見たい」とした場合,ドリアンイェーツは互角以上ですが,シンメトリーやコンディションといった場合には明らかにリーヘイニーの方が上です.ただ,以上を総合的に考えても,リーヘイニーはドリアンイェーツに勝つ自信はあったようですね.

When you’re talking waist-to-shoulder ratio, you’re talking maturity level of his physique, you know the way we remember bodybuilding. You know, you have to have those fine lines and that’s something that’s created over a period of time. Listen, I was gunning for the Olympia eight years in a row, nine years — I placed third at my first Mr. Olympia. It takes time to get there

ウエストと肩幅の比率を語るとき、彼の体格の成熟度を語るとき、ボディビルにおいて,細い線 (=ストリエーション,)は長い時間をかけて作られるものです.私は8年,9年連続でオリンピアを目指していて,最初のミスターオリンピアでは3位になった.そこに到達するには時間がかかるんです.

つまり,当時のドリアンイェーツは身体の成熟度が足りないため,リーヘイニーは勝つことができなかったのではないかと考えているようです.それにしても,リーヘイニーがオリンピアで3位になったのは1983年であり,当時24歳です.「8-9年目指している」ということは,彼は10代半ばからオリンピアを念頭に置いて準備をしていたということになり,とんでもないことが言えますね.

終わりに…

リーヘイニーは,絶頂期を迎えている中で引退を宣言しており,確かに,1992年,1993年と彼が出場していればドリアンイェーツに勝利していた可能性は非常に高いです.ただし,ドリアンイェーツも年々サイズアップしていたことは事実であり,サイズを重視したジャッジの場合には,リーヘイニーが彼に勝てるかどうかは分かりませんね.

関連記事