オリンピア 2006は非常に特別なコンテストであり,なぜなら,当時絶対王者だったRonnie Coleman (ロニーコールマン)がミスターオリンピア史上最多の9連覇を狙ったコンテストであり,そのコンテストにてJay Cutler (ジェイカトラー)に敗れたためです.
ジェイカトラーのオリンピア 2006の勝利について,それが如何に特別だったものなのかを彼が述べている動画を見つけたため皆さんとシェアしたいと思います!
ジェイカトラーのオリンピア 2006までの道のり
ジェイカトラーがオリンピア 2006でロニーコールマンを破るまでに,彼は,ロニーコールマンとオリンピアで7度戦います.
ジェイカトラーがオリンピアに初参戦を果たしたのは,1999年になります.
(それにしても,当然ですが,めちゃくちゃ若いですね.)
初参戦にして,この身体の仕上がりは圧巻と言っても過言ではないと思うのですが,このとき,彼は14位に終わり,その一方で,ロニーコールマンは2連覇を果たします.
次に,彼が出場したのは2000年であり,オリンピア 1999から大躍進し8位になります.
その一方で,ロニーコールマンは3連覇を果たします.
次に,彼が出場したのは2001年になり,オリンピア 2000からさらに躍進し,2位に入賞します.
オリンピア 2000ではコンディションがサイズがアップした分,コンディションが良くなかったのですが,オリンピア 2001ではコンディションも素晴らしく,比較的多くの人が「実際はジェイカトラーが勝っていた」と述べています.ここで,ロニーコールマンは4連覇目を果たします.
そこから,彼は,サイズアップのために2002年の一年間をオフシーズンとして,2003年に再びオリンピアのステージに立つのですが,そこに立ちはだかったのはが,やはりロニーコールマンであり,レベルアップしたジェイカトラーでも2003年から2005年で3年連続で2位となりました.
この時点で,ロニーコールマンは,Lee Haneyの持つオリンピアのタイトル数と並び,オリンピア 2006にて前人未到の9連覇に挑戦しましたが,そこで立ちはだかったのがジェイカトラーになります.
ロニーコールマンは,連覇を重ねるにつれて,ストラクチャーが崩れているという指摘もあるため,2006年のジェイカトラーが特別によかったかと言われると,他の年代も知っている人は「そうでもない」と答えるでしょう.
ただ,ここまでに8連覇をしていた絶対王者を7度目の挑戦 (おそらく,他のコンテストを含めれば10回以上)で破ったということに大変意義があります.
ジェイカトラーがオリンピア 2006について語った動画
ジェイカトラーがオリンピア 2006について語った動画ですが,以下になります.
今回の動画の作成元は,The Schmoというyoutubeチャンネルになります.The Schmoですが,スポーツジャーナリズムのyoutubeチャンネルであり,多くの著名なアスリートにインタビューを行っていますね.
今回の動画にて,ジェイカトラーはオリンピア 2006の勝利について述べるために,「彼にとってのロニーコールマン」,「オリンピア 2006での勝利の意味」,「オリンピア2位からの挑戦の意味」について語っています.
ジェイカトラーにとってのローニーコールマン
ジェイカトラーにとってのローニーコールマンですが,以下の様に述べられています.
“He’s the greatest ever, I’ll go on record. We all sit here and look at bodybuilders and who we admire, this guy was my idol. So for me to come up and have him as my idol and then become a rival, and then of course have to beat him,”
= ロニーコールマンは史上最も優れた選手で間違いないと思います.我々は,ここに座ってボディービルダーを見て,彼は,私たちが尊敬するであり,私のアイドルでした.だから,私が選手となり,彼は私のアイドルあると同時にライバルになり,そしてもちろん彼を倒さなければなりませんでした.
ロニーコールマンとジェイカトラーは,ライバル関係にあったのにも関わらず,非常に仲が良かったというのは有名な話であり,ジェイカトラーにとってロニーコールマンが目標だったという話も比較的有名だと思います.
ロニーコールマンと戦った人の多くは,彼が「アイドルだった」という表現を使っており,それだけ,当時のロニーコールマンが絶対的な存在だったということが伺えます.また,ロニーコールマンですが,連覇を重ねても非常に謙虚だったという話もあり,その様な姿勢も多くのボディビルダーから尊敬される理由なのでしょう.
オリンピア 2006での勝利の意味
オリンピア 2006での勝利の意味については,以下の様に述べられています.
“When I did beat him, I felt bad because not only did I beat him, but he was going for record number nine at the time… So I held (him) from that happening. He was going to break that record, and I was the first guy to defeat Mr. Olympia onstage, never been done in history, still to this day.
私が彼を倒したとき,私は気分が悪くなりました.その理由としては,私が彼を倒したというだけではなく,彼が9連覇を狙っていたためです….彼はその記録を破ろうとしており,その一方で,私は,ミスターオリンピアをステージ上で破った最初の男であり,今日に至るまで歴史上かつてないことでした.
ここでの”Mr. Olympia”が一般的なミスターオリンピアを示しているのか,ロニーコールマンを指しているのかはっきりしません.というのも,前者の場合,オリンピア 2018にて,当時のミスターオリンピアだったPhil Heath (フィルヒース)はShawn Rhoden (ショーンローデン)に敗れているため,実際に起きていることであるためです.
オリンピア2位からの挑戦の意味
最後に,彼が幾度もロニーコールマンに敗れた中で,勝利を掴み取った意味について述べています.
“To have all those second (placings), I was second to him four times to him, where most guys would have given up. It seemed like there was a curse of the second place Mr. Olympias, if you go back to like Rich Gaspari, and Kevin Levrone, Shawn Ray, all these guys they never end up getting the title, Flex Wheeler, like they all pursued that title and then fell back, whereas I was the one who was able to leap forward and actually win the title,
全てのの2位の順位を振り勝ってみると,私は彼に挑戦した中で4回,2位だったのですが,ほとんどの人はこの時点であきらめていたでしょう. このとき,オリンピアでは2位に呪いがあるように思えました.Rich Gaspari,Kevin Levrone,Shawn Ray,Flex Wheelerを考えれば,彼らはタイトルを獲得することできず,彼らはタイトルを追い求めましたが,後退していきました.その一方で,私は,タイトルを獲得した後,後退しましたが,私は前進して実際にタイトルを再び獲得できました.
最後の方は,オリンピア 2008にてDexter Jacksonに敗れた後,オリンピア 2009にて再びタイトルを獲得したときの話であり,2021年現在までで,オープンクラスのボディビルディングにおいて,一度オリンピアのタイトルを失って,再びタイトルを獲得したのはジェイカトラーしかおりません.
終わりに…
ジェイカトラーも述べていますが,そもそも,ロニーコールマンに6度以上敗れているのにも関わらず,ロニーコールマンに挑み続け,最終的には彼を倒すというジェイカトラーのメンタルの強さは凄まじいと思います.
普通の人ならば,これだけ連続で2位になってしまうと,「そもそも,相手に勝つことがでいないのではないか」と疑心暗鬼になってしまいそうですが,自分自身の可能性を信じ続けたジェイカトラーはやはりすごい選手だと思いました.