ミスターオリンピアにおいて論争の的となったジャッジ5選

IFBBプロボディビルダーにっとて,世界最高の大会が言われるのがミスターオリンピアですが,そんなオリンピアの舞台でも過去に議論を呼ぶジャッジはありました.

今回は,そんな議論を生むジャッジについてまとめている非常に面白い動画を見つけたため皆さんとシェアさせて頂きます!

ミスターオリンピアで論争の的となったジャッジとは

今回の情報源は以下の動画になります.

サムネイルは,Nasser El Sonbatyとドリアンイェーツになりますね.

“疑惑の”5人の人物

今回取り上げられているのは以下の通りです.

  • 1971年:アーノルドシュワルツネッガー
  • 2007年:ジェイカトラー
  • 1980年:アーノルドシュワルツネッガー
  • 1981年:フランココロンボ
  • 1997年:ドリアンイェーツ

1971年:アーノルドシュワルツネッガー

1971年のオリンピアはなんとフランスのパリで開催でした (近年のオリンピアは,アメリカのネバダ州ラスベガスで行われるのが一般的ですね).

この年のオリンピアは,4人の大会出場者のうち,3人が大会前に出場権を剥奪されるという前代未聞の事件が発生しており,これにより,競技者が若き日のシュワルツネッガーだけとなり,結果的に彼が優勝することとなります.この問題の背景として,1976年のオリンピックの競技として,ボディビルディングが加わるために国際オリンピック協会がIFBBに圧力をかけたということがある様です.

前年のオリンピアにおいて,ライバルであるセルジオオリバを破っており,これがシュワルツネッガーの2度目のミスターオリンピアのタイトルとなりました.

アーノルドシュワルツネッガー  1971

ファンとしては,セルジオオリバとの再戦を楽しみにしていたため,非常に残念だったに違いありません.

2007年:ジェイカトラー

2007年のミスターオリンピアは,2006年にミスターオリンピアを8連覇していたロニーコールマンを破ったジェイカトラーが2連覇を狙ったコンテストであり,実際にジェイカトラーが2連覇を果たしました.

この大会において2位だったのがビクターマルティネスです.この年のオリンピアのビクターマルティネスは,彼史上最高の仕上がりだったと言われています.

実際にアブドミナルアンドサイのポージング比較が以下になります (左がビクターマルティネスです.).

ジェイカトラー  ビクターマルティネス 2007

こうしてみると,ビクターと比較してジェイカトラーのシェイプが崩れているのがよくわかります.そのため,この年のオリンピアで勝つべきだったのはビクターであるという意見は非常に多く,議論の的となっています.

この年のオリンピアでは,かろうじで優勝することのできたジェイカトラーですが,翌年はデキスタージャクソンに敗れます.その際に,デキスターが言っていたのは,「ジェイはロニーコールマンに勝ってから年々,ストラクチャーが崩れている」というセリフです.

この予兆はすなわち2007年からあったということですね.

1980年:アーノルドシュワルツネッガー

1980年のミスターオリンピアはオーストラリアのシドニーで行われました.

1980年のオリンピアでは,アーノルドシュワルツネッガーが再びオリンピアのステージに戻ってきました.ご存知の通り,シュワルツネッガーはハリウッド俳優として活躍していたため,一時期ボディビル競技からは遠ざかっていました (その間5年です).

この年のオリンピアにおいて,この試合においてシュワルツネッガーが参戦することを多くの競技者は知らない状況で,まさに飛び入り参加というような形で参戦し,しかも彼が優勝してしまいます.ただ,このときの彼のコンディションが悪かったのが実際で,それまで3連覇していたフランクゼーンが優勝候補として挙げられていました

アーノルドシュワルツネッガー  1980

また,批判の的となっているのは,1970年代後半からシュワルツネッガーがオリンピアのプロモーターをしており,自分自身をオリンピアにさせたのではないかという意見が多いためです.

1981年:フランココロンボ

この年のオリンピアで遂に,アーノルドシュワルツネッガーの記録が途絶えます.ただ,彼が負けたのではなく,オリンピアに出場しなかったためです.

この年の優勝者は,フランココロンボでしたが,この年の彼はベストなパフォーマンスを発揮していたわけではありませんでした.にも関わらず優勝できたのは,彼がシュワルツネッガーの大親友であり,プロモーターであるシュワルツネッガーとの癒着があったのではないかと言われているためです.

実際に,あの脚トレで非常に有名なトムプラッツもこの年のオリンピアに出場していますが,彼の方が良さそうですもんね (中央がフランココロンボ,右がトムプラッツです).

フランココロンボ 1981

1997年:ドリアンイェーツ

1997年のオリンピアは,ドリアンイェーツが最後に勝利を飾るオリンピアになります.

この年のドリアンは,ドリアンが最も悪かった年であり,その一方で,2位だったNasser El Sonbatyが過去最高の仕上がりだった年でもありました (写真左がNasser El Sonbatyです).

Nasser El Sonbaty Dorian Yates 1997

このポーズから分かるとおり,明らかにNasser El Sonbatyが勝っていますね.動画中で述べられているのは,その他のポージングでも圧倒的にNasser El Sonbatyの方が良かった様です.

また,このポージングから分かる通り,明らかにドリアンイェーツの上腕二頭筋に問題があります (動画中では,ドリアンの上腕二頭筋を「これでもか」と否定しています笑).ドリアンはこの年かその周辺の年に上腕二頭筋を切ってしまったのでそれが影響していると考えられます.

終わりに…

こうしてみると,アーノルドシュワルツネッガー絡みの問題が多いですね.彼は選手として多くのプロから尊敬を集める一方で,この様な議論を生むジャッジの渦中にいることが多いとは,なんだか不思議ですね.

関連記事